(*sorry this diary only japanese)
と毎日言われている気分ですが、やっと止まっていた手が動きはじめました。といっても残された時間は、後3日、、また暗記地獄がやってきます。数えてみたら1日80単語、たまにそれ以上強制暗記の日々でした。(ただいま進級試験を終えて一週間の休暇中、来週から上級advanceです。)書き取り、速読、即聞き取り試練の日々から切り替えるのに最低3日はかかります。というわけで、やりかけていた翻訳資料日本人アーティストのIさん→タイアーティストのKさんに渡すを横目でみながら、、葛藤スケッチしています。
2010/02/12
2010/02/10
映画のはなし・เรื่องเกียวกับหนัง
タイ映画を紹介します。
私の中では、今まで見たタイ映画の中で一番すんなり入り込めて、自然に終れる、そんな映画でした。
タイトル:「THE HAPPINESS OF KATI(クワームスック コーン ガティ)」
เรื่อง: ความสุขของกะทิ
監督:Jenwai Tongdeenok
ผู้กำกับ:เจนไวยย์ ทองดีนนอก
ガティ(ココナッツミルク)は、小さなおんなの子の名前です。
原作本(日本語)もあります。(私の中では、原作本と映画に少し開きがあります。原作本(タイ版)は、ふくれっ面ではなく、微笑みのロッタちゃんと いうか、挿絵が影響しておとなしいトットちゃんという印象も、、、)
気になった方は、タイ語のタイトルをコピペして検索してみてください。様々なシーンの写真や映像が公開されてますので雰囲気を摑みやすいかと思います。(公開日は、1年前の2009年1月です。)
比較するのは好きではないですが、日本映画の「歩いても 歩いても」(是枝裕和監督・2008年)などがふつうに好きな方は、おそらく自然に入れるのではと思います。この作品にドキュメンタリー性は無いのでちょっと違う気もしますが、とにかく、自然体の家族や身近な人間間の出来事を描いた映画です。ときどきご飯のいいにおいが漂ってくるような表現は好いです。(適当すぎるコメントですみません。)
私の中では、今まで見たタイ映画の中で一番すんなり入り込めて、自然に終れる、そんな映画でした。
タイトル:「THE HAPPINESS OF KATI(クワームスック コーン ガティ)」
เรื่อง: ความสุขของกะทิ
監督:Jenwai Tongdeenok
ผู้กำกับ:เจนไวยย์ ทองดีนนอก
ガティ(ココナッツミルク)は、小さなおんなの子の名前です。
原作本(日本語)もあります。(私の中では、原作本と映画に少し開きがあります。原作本(タイ版)は、ふくれっ面ではなく、微笑みのロッタちゃんと いうか、挿絵が影響しておとなしいトットちゃんという印象も、、、)
気になった方は、タイ語のタイトルをコピペして検索してみてください。様々なシーンの写真や映像が公開されてますので雰囲気を摑みやすいかと思います。(公開日は、1年前の2009年1月です。)
比較するのは好きではないですが、日本映画の「歩いても 歩いても」(是枝裕和監督・2008年)などがふつうに好きな方は、おそらく自然に入れるのではと思います。この作品にドキュメンタリー性は無いのでちょっと違う気もしますが、とにかく、自然体の家族や身近な人間間の出来事を描いた映画です。ときどきご飯のいいにおいが漂ってくるような表現は好いです。(適当すぎるコメントですみません。)
2010/02/08
バンコクの現代文化- 2
↓下記(2010/01/04)のバンコクの現代文化-1の詳細を日本語で紹介します。
จะแนะนำรายละเอียดบทความส่วนหนึ่งในหนังสือ"หมายเหตุวัฒนธรรมร่วมสมัย"ที่เขียนระบุไว้ตอนท้าย(2010/01/04)โดยการแปลเป็นภาษาญี่ปุ่นคะ
下記の文書(2010/01/04)は、大学の語学習得集中プログラムの授業内で取り上げられた文書の一文をピックアップしたものです。随分前から題材となっている為、何時、どこに掲載されたなどの詳細が不明なのですが、最後にหมายเหตุวัฒนธรรมร่วมสมัยと記載されています。หมายเหตุは、注釈 วัฒนธรรมは、文化 ร่วมは、一箇所の場所にあつまるやあわせるといった意味合いを持ちます。สมัยは、時代です。書いたのは、二ティ ウィオシリーオン教授、社会学(sociology)の専門家です。
文書のタイトルは、「クルンテープ バンコク コートーモー」、クルンテープは、バンコクのタイ語名称(最短縮版)で、コートーモーは、クルンテープマハーナコン(短縮版)の略です。ちなみに正式名称は、クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラッ ト・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラ シットとおそろしく長いんですよ。
文章は、第二次世界大戦前にあった音楽のタイトルからはじまります。時代を象徴する流行歌 (第二次世界大戦前は、クルンテープ ラードリー それから 20年後は、サワディーバンコック)にあわせてその時代の風 潮を紹介しています。日本でいうと東京音頭(昭和8年/1933)から東京ブギウギ(笠置シズ子・昭和22年/1947)に あわせて東京の風潮を紹介しているといったところでしょうか。(厳密にいうと20年経っていませんが、東京のつく流行歌が思いあたりませんので。)
私は、クルンテープがゴートーモーに変わってからの項をピックアップしました。
つまり現代です。
つづく、、、มีต่อข้างล่าง↓
จะแนะนำรายละเอียดบทความส่วนหนึ่งในหนังสือ"หมายเหตุวัฒนธรรมร่วมสมัย"ที่เขียนระบุไว้ตอนท้าย(2010/01/04)โดยการแปลเป็นภาษาญี่ปุ่นคะ
下記の文書(2010/01/04)は、大学の語学習得集中プログラムの授業内で取り上げられた文書の一文をピックアップしたものです。随分前から題材となっている為、何時、どこに掲載されたなどの詳細が不明なのですが、最後にหมายเหตุวัฒนธรรมร่วมสมัยと記載されています。หมายเหตุは、注釈 วัฒนธรรมは、文化 ร่วมは、一箇所の場所にあつまるやあわせるといった意味合いを持ちます。สมัยは、時代です。書いたのは、二ティ ウィオシリーオン教授、社会学(sociology)の専門家です。
文書のタイトルは、「クルンテープ バンコク コートーモー」、クルンテープは、バンコクのタイ語名称(最短縮版)で、コートーモーは、クルンテープマハーナコン(短縮版)の略です。ちなみに正式名称は、クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラッ ト・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラ シットとおそろしく長いんですよ。
文章は、第二次世界大戦前にあった音楽のタイトルからはじまります。時代を象徴する流行歌 (第二次世界大戦前は、クルンテープ ラードリー それから 20年後は、サワディーバンコック)にあわせてその時代の風 潮を紹介しています。日本でいうと東京音頭(昭和8年/1933)から東京ブギウギ(笠置シズ子・昭和22年/1947)に あわせて東京の風潮を紹介しているといったところでしょうか。(厳密にいうと20年経っていませんが、東京のつく流行歌が思いあたりませんので。)
私は、クルンテープがゴートーモーに変わってからの項をピックアップしました。
つまり現代です。
つづく、、、มีต่อข้างล่าง↓
2010/02/07
バンコクの現代文化- 2のつづき
↓下記(2010/01/04)のバンコク現代文化-1の詳細を日本語で紹介します。上記(2010/02/08)の続きです。จะแนะนำละรายละเอียด"หมายเหตุวัฒนธรรมร่วม สมัย"ที่เขียนระบุไว้ตอนท้าย(2010/01 /04)โดยแปลเป็นภาษาญี่ปุ่นคะ เรื่องนี้ต่อเนื่องกับการเขียนมาแล้วข้างต้น(2010/02/08)คะ
現代といっても最後に、"แม้จะมีรถด่วนลอยฟ้า" "いくら高架鉄道が開通するといえども"という一文があるので、高架鉄道(BTS)が今から10年前に開通した点を踏まえるとその頃に書かれたものと思われます。
以下訳文です。
、、、現代のバンコクに暮らすことは、そんなに居心地良いものではない。我々が見えていないだけで、バンコクは不潔で獰猛な都市だ。というのも毎日約3分の1のゴミがかたずけきれずに路地の片隅に隠し込まれ、それ自体がバンコクの景色と化しているからだ。それでも高層ビルであふれているのは他 の世界の大都市と同じかもしれない。しかし、我々が建築場所に対しあまり重きをおかないがために、我々の眼に映る高層ビルは、それぞれの道路を切断するように無秩序に散らばり、はじまったばかりの道路計画は、交通にさらに多くの障害をもたらしている。
バンコクは、人から愛される都市ではない。バンコク及び田舎の人ともにバンコクは生計を営むだけの場所とみなし、移り住んでくる人が期待するのは、自分の生活を富(ゆたか)にすることで好きだからではない。しかし、富(ゆたか)な生活と良い暮らしは、おそらく違うはずだ。そのため、彼らはバンコクを良い暮らしのある場所にすることに興味はない。例えば、バンコクには公園が足らず、コンサートホールも足りない、博物館も足りない、図書館はなく、(町のなかの)造形物も木も足りない、、、何もかも人々の生活を良くするためのもの全てが足りていない。バンコクに入り幾日もたたずにバンコクが、バンコクの人からも、それ以外の土地の人からも、誰からも愛されない、愛の欠けた都市であることがはっきりと見えてくるだろう。
、、、
現代といっても最後に、"แม้จะมีรถด่วนลอยฟ้า" "いくら高架鉄道が開通するといえども"という一文があるので、高架鉄道(BTS)が今から10年前に開通した点を踏まえるとその頃に書かれたものと思われます。
以下訳文です。
、、、現代のバンコクに暮らすことは、そんなに居心地良いものではない。我々が見えていないだけで、バンコクは不潔で獰猛な都市だ。というのも毎日約3分の1のゴミがかたずけきれずに路地の片隅に隠し込まれ、それ自体がバンコクの景色と化しているからだ。それでも高層ビルであふれているのは他 の世界の大都市と同じかもしれない。しかし、我々が建築場所に対しあまり重きをおかないがために、我々の眼に映る高層ビルは、それぞれの道路を切断するように無秩序に散らばり、はじまったばかりの道路計画は、交通にさらに多くの障害をもたらしている。
バンコクは、人から愛される都市ではない。バンコク及び田舎の人ともにバンコクは生計を営むだけの場所とみなし、移り住んでくる人が期待するのは、自分の生活を富(ゆたか)にすることで好きだからではない。しかし、富(ゆたか)な生活と良い暮らしは、おそらく違うはずだ。そのため、彼らはバンコクを良い暮らしのある場所にすることに興味はない。例えば、バンコクには公園が足らず、コンサートホールも足りない、博物館も足りない、図書館はなく、(町のなかの)造形物も木も足りない、、、何もかも人々の生活を良くするためのもの全てが足りていない。バンコクに入り幾日もたたずにバンコクが、バンコクの人からも、それ以外の土地の人からも、誰からも愛されない、愛の欠けた都市であることがはっきりと見えてくるだろう。
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