ตัดตอนจาก นิธิ เอียวศรีวงศ์
หมายเหตุวัฒนธรรมร่วมสมัย
.....กรุงเทพฯ ที่เป็นอยู่จริงในปัจจุบันก็ไม่ใช่ที่อันน่าภิรมย์ กรุ่งเทพฯ เป็นเมืองสกปรกอย่างร้ายกาจ เพียงแต่เราอาจมองไม่เห็นเท่านั้น เพราะมีขยะอยู่ประมาณ๑ใน๓ ที่เก็บไม่หมดทุกวัน ขยะเหล่านี้ซุกซ่อนอยู่ในตรอกซอกซอย ของกรุงเทพฯนี่เองล่วนทิวทัศน์ของกรุงเทพฯ ก็อาจเหมือนมหานครอื่นๆ ในโลก คือ เต็มไปด้วยตึกสูงแต่เพราะเราไม่ค่อยให้ความสำคัญแก่ภูมิสถาปัตย์มากนัก ตึกสูงของเราจึงดูระเกะระกะ ถนนแต่ละสายขาด การวางแผนที่ดีมาแต่ต้น ทำให้การจราจรยิ่งติดขัดมากขึ้น
กรุงเทพฯ ไม่มีเมืองที่ใครจะรัก ทั้งคนกรุงเทพฯและคนบ้านมองกรุงเทพฯเป็นเพียงแหล่งทำมาหากิน ผู้คนเข้ามาอยู่เพราะหวังจะทำชีวิตของตัวให้รวยขึ้น ไม่ใช่เพราะรัก แต่ชีวิตที่รวยกับชีวิตที่ดีอาจไม่เหมือนกัน เขาจึงไม่สนใจที่จะทำให้กรุงเทพฯเป็นแหล่งที่จะใช้ชีวิตที่ดีได้ เช่น กรุงเทพฯ มีสวนสาธารณะไม่พอ โรงดนตรีไม่พอ พิพิธภัณไม่พอ ห้องสมุดไม่มี ประติมากรรมไม่พอ ต้นไม้ไม่พอ ฯลฯ อะไรๆ ที่จะทำให้ผู้คนบรรลุชีวิตที่ดีล้วนไม่พอทั้งนั้น เพียงเข้ามาในกรุงเทพฯ รักกรุงเทพฯ ไม่กี่วันก็เห็นชัดว่ากรุงเทพฯ เป็นเมืองที่ขาดความรัก ไม่มีใครทั้งในและนอกกรุงเทพฯ รักกรุงเทพฯ อีกแล้ว
..........
これは、授業で取り上げられたコラムの一文、バンコクの現代文化ついての注釈です。興味深いので記録しておこうと思いました。
次のブログで、日本語に翻訳したものとその詳細を紹介します。
2010/01/04
2010/01/03
Happy New Year 2010!
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
新しい年が皆様にとって佳き年でありますようお祈り申し上げます。
May the New Year turn out to be the happiest and the best for you.
สวัสดีปีใหม่คะ
ขอให้มีดวามสุขในตลอดปีนี้ นะคะ
新しい年が皆様にとって佳き年でありますようお祈り申し上げます。
May the New Year turn out to be the happiest and the best for you.
สวัสดีปีใหม่คะ
ขอให้มีดวามสุขในตลอดปีนี้ นะคะ
2009/12/29
ひさびさの投稿です。
(*sorry this diary only japanese)
現在バンコクで語学研修中です。
語学研修というとなんだかのんびりに聞こえるかもしれませんが、実に大変なものです。
タイ語は、一度2006年に学んだので日常会話はできますが、何かを少し専門的に調べようとなるとどうにも詰まってしまっていました。英語の方が確実に将来性があるのは、わかっているのですが、困ったことにタイで企画をやりきらないと、どうにも前に進めないのです。私の場合は、その土地にある特殊な風習や人との会話がヒントになる場合が多く、そのようなものの答えは、日本のようにインターネットで検索すれば大抵出ていたり、大きな本屋に行けば、一冊くらいは専門書が見つかるといった事情とは、少し異なるのです。機会あるたびに、いろんな人に聞いて、聞いて、たまたまその分野の知識を持っている人に出会うと聞きだせるといった具合です。
例えば、私は以前の企画でタイの北部の家の屋根についているガレーという飾りがとても気になったのです。様々な装飾模様があり、歴史的に北部に王朝があったこと等を考えると、その飾りに意味があるのではと、不敬罪とまではいかなくても迂闊に手を出せずにいました。関連書籍は見つからず検索でひとつだけ見つかったサイトには様々な装飾を取り上げていましたが、その意味まではわかりませんでした。実際につけている家の人に聞いても、一般の人からは「きれいだから」とごく簡単な返事しか返ってきません。どうやらそれが、本来の意味らしいのですが。最近、授業でタイの伝統建築が取り上げられまして、それを担当した先生がたまたま北部出身で、ガレーはミャンマーから伝わったもので、その飾りの意味について様々な見解があるけれど本来の意味についてはわかっていない、今、北部でつけられているその飾りのほとんどは、個人が次から次へと作り出してしまっているもので、本来のガレーのついている家はチェンマイ市内にも2件しかないと言われているとのことでした。もう少し深く調べる必要はありますが、ここまできて、ようやく展開の余地ありといった感じです。
以前の企画では、そのようにモヤモヤと詰めることができなかった部分部分が、確実に作品の甘さに繋がりました。
現在、語学とともに歴史や文化的背景、社会、経済について学んでいるのですが、それはとても役に立っています。どこの国でもそうだと思いますが、無知であることは逆に表現の幅を狭めてしまいます。
そんなタイの事情も相俟ってタイ語は必要と判断しました。
タイ語は、同じ意味を持つ「語」が実に多く、場面場面で使い分けたり、ふたつ、みっつ並べたりします。発音が完璧でない外国人の場合は、この使うシーンを誤ると、まったく通じないというのもしばしばです。
大学の講座とあわせて、私の場合、1日10時間以上勉強に時間を取られています。また、それだけでも、シーンにあったボキャブラリーというのが補えないので、余った時間に日本語とタイ語両方で出版されている本を読み比べたりしています。
勉強にほとんどの時間が割かれている今、少しの焦りもありますが、やれるだけやってみようと思っています。
それでは、
みなさま、良いお年を。
(新年の休みに少しバンコクのアートシーンをレポートしようと思っています。)
現在バンコクで語学研修中です。
語学研修というとなんだかのんびりに聞こえるかもしれませんが、実に大変なものです。
タイ語は、一度2006年に学んだので日常会話はできますが、何かを少し専門的に調べようとなるとどうにも詰まってしまっていました。英語の方が確実に将来性があるのは、わかっているのですが、困ったことにタイで企画をやりきらないと、どうにも前に進めないのです。私の場合は、その土地にある特殊な風習や人との会話がヒントになる場合が多く、そのようなものの答えは、日本のようにインターネットで検索すれば大抵出ていたり、大きな本屋に行けば、一冊くらいは専門書が見つかるといった事情とは、少し異なるのです。機会あるたびに、いろんな人に聞いて、聞いて、たまたまその分野の知識を持っている人に出会うと聞きだせるといった具合です。
例えば、私は以前の企画でタイの北部の家の屋根についているガレーという飾りがとても気になったのです。様々な装飾模様があり、歴史的に北部に王朝があったこと等を考えると、その飾りに意味があるのではと、不敬罪とまではいかなくても迂闊に手を出せずにいました。関連書籍は見つからず検索でひとつだけ見つかったサイトには様々な装飾を取り上げていましたが、その意味まではわかりませんでした。実際につけている家の人に聞いても、一般の人からは「きれいだから」とごく簡単な返事しか返ってきません。どうやらそれが、本来の意味らしいのですが。最近、授業でタイの伝統建築が取り上げられまして、それを担当した先生がたまたま北部出身で、ガレーはミャンマーから伝わったもので、その飾りの意味について様々な見解があるけれど本来の意味についてはわかっていない、今、北部でつけられているその飾りのほとんどは、個人が次から次へと作り出してしまっているもので、本来のガレーのついている家はチェンマイ市内にも2件しかないと言われているとのことでした。もう少し深く調べる必要はありますが、ここまできて、ようやく展開の余地ありといった感じです。
以前の企画では、そのようにモヤモヤと詰めることができなかった部分部分が、確実に作品の甘さに繋がりました。
現在、語学とともに歴史や文化的背景、社会、経済について学んでいるのですが、それはとても役に立っています。どこの国でもそうだと思いますが、無知であることは逆に表現の幅を狭めてしまいます。
そんなタイの事情も相俟ってタイ語は必要と判断しました。
タイ語は、同じ意味を持つ「語」が実に多く、場面場面で使い分けたり、ふたつ、みっつ並べたりします。発音が完璧でない外国人の場合は、この使うシーンを誤ると、まったく通じないというのもしばしばです。
大学の講座とあわせて、私の場合、1日10時間以上勉強に時間を取られています。また、それだけでも、シーンにあったボキャブラリーというのが補えないので、余った時間に日本語とタイ語両方で出版されている本を読み比べたりしています。
勉強にほとんどの時間が割かれている今、少しの焦りもありますが、やれるだけやってみようと思っています。
それでは、
みなさま、良いお年を。
(新年の休みに少しバンコクのアートシーンをレポートしようと思っています。)
2009/08/20
ラオス(ビィエンチャン)のアートと街と食-1
(*sorry this diary only japanese)
後日、タイ語アップします。
12月28日に情報を追加記入しました。
今、まさに開始瞬間といった印象のラオス(ラオス人民共和国)のアート現場を少しだけリポートします。
今まで、ヨーロッパ、特に歴史的にフランスとの接点が多いので(1893年にフランスの保護国となり仏領インドシナ連邦に編入、1949年、フランス連合内のラオス王国として名目上独立。その後1953年10月22日、フランス・ラオス条約により完全独立を達成した。)、訪ねた先々でフランスにより、ほんの少しの芸術のが支援されてきたように感じました。今ラオスのアート現場では、ラオスの若者たちが自分たちの手で現場を作りはじめ、少しづつ近隣アジア国との関わりも深くなりはじめたようです。

ビェンチャンの街角1
M GALLERY

このMギャラリーのオーナーはシンガポール人だそう、ラオスの若いアーティストの間で、このギャラリーで展示することがひとつの目標となっているようでした。取り扱い作品は、コンテンポラリーアート・ペインティングだそうです。タイからアーティストが売り込みにくることもあるそうで、タイアーティストの展覧会もしばしば行っているようです。しっかり作られたカタログを頂ました。
(タイとラオスは隣国同士で陸路で通過できる国境は現在7箇所、気軽に往来できる関係です。歴史的な部分を考えれば当然かもしれませんが、言葉もタイのイサーン地方の方言に似ており、通常タイ語が通じます。)
Lao Fine Artists’ Association Exhibition Halls

現在、National Faculty of Fine Artsの旧校舎がLao Fine Artists’ Association Exhibition Hallsという名称で展示スペースとなっているそうです。National Faculty of Fine Artsの教育課程は少し複雑で大学でなく「サターバン」という括りで呼ばれています。この言葉は、タイ語にもあります。タイ語のサターバンは、大学・研究所・寺院・病院などの公共施設を示し、英語のinstitutionの訳語として作られました。日本でいう専門学校をサターバンと呼んでいたケースも多いですが、タイでは近年、その多くが大学として名称変更しているようです。
ラオスのNational Faculty of Fine Artsは、2002年に改定され、学士号の取得が可能になったそうです。ハイスクール課程の3年を修了し、さらに5年勉強すると学士が与えられると学生さんが説明してくれました。学費は、1年でタイのお金で約2万バーツ(日本円で6万円程)だそうで、ラオスでアートを学ぶ唯一の機関のようです。


学生たちの展覧会直前でした。設置が終わりパーティを催していました。日本からですか?どうですか?ご一緒しませんか?と丁寧なタイ語でお誘い受けました。
後日、タイ語アップします。
12月28日に情報を追加記入しました。
今、まさに開始瞬間といった印象のラオス(ラオス人民共和国)のアート現場を少しだけリポートします。
今まで、ヨーロッパ、特に歴史的にフランスとの接点が多いので(1893年にフランスの保護国となり仏領インドシナ連邦に編入、1949年、フランス連合内のラオス王国として名目上独立。その後1953年10月22日、フランス・ラオス条約により完全独立を達成した。)、訪ねた先々でフランスにより、ほんの少しの芸術のが支援されてきたように感じました。今ラオスのアート現場では、ラオスの若者たちが自分たちの手で現場を作りはじめ、少しづつ近隣アジア国との関わりも深くなりはじめたようです。

ビェンチャンの街角1
M GALLERY

このMギャラリーのオーナーはシンガポール人だそう、ラオスの若いアーティストの間で、このギャラリーで展示することがひとつの目標となっているようでした。取り扱い作品は、コンテンポラリーアート・ペインティングだそうです。タイからアーティストが売り込みにくることもあるそうで、タイアーティストの展覧会もしばしば行っているようです。しっかり作られたカタログを頂ました。
(タイとラオスは隣国同士で陸路で通過できる国境は現在7箇所、気軽に往来できる関係です。歴史的な部分を考えれば当然かもしれませんが、言葉もタイのイサーン地方の方言に似ており、通常タイ語が通じます。)
Lao Fine Artists’ Association Exhibition Halls

現在、National Faculty of Fine Artsの旧校舎がLao Fine Artists’ Association Exhibition Hallsという名称で展示スペースとなっているそうです。National Faculty of Fine Artsの教育課程は少し複雑で大学でなく「サターバン」という括りで呼ばれています。この言葉は、タイ語にもあります。タイ語のサターバンは、大学・研究所・寺院・病院などの公共施設を示し、英語のinstitutionの訳語として作られました。日本でいう専門学校をサターバンと呼んでいたケースも多いですが、タイでは近年、その多くが大学として名称変更しているようです。
ラオスのNational Faculty of Fine Artsは、2002年に改定され、学士号の取得が可能になったそうです。ハイスクール課程の3年を修了し、さらに5年勉強すると学士が与えられると学生さんが説明してくれました。学費は、1年でタイのお金で約2万バーツ(日本円で6万円程)だそうで、ラオスでアートを学ぶ唯一の機関のようです。


学生たちの展覧会直前でした。設置が終わりパーティを催していました。日本からですか?どうですか?ご一緒しませんか?と丁寧なタイ語でお誘い受けました。
ラオス(ビィエンチャン)のアートと街と食-2
(*sorry this diary only japanese)
5 Arts Gallery



National Faculty of Fine Artsの2002年の改定後、初の卒業生有志5人(今から2年前に卒業)でお金を出し合って作ったギャラリー、設立は、約1年前でラオスで最初のラオス人によるギャラリーだそうです。(名刺が見つかり次第、名前を追加記載させていただきます。)本来は、コンテンポラリー・アートを扱いたいそうですが、なんせラオスではギャラリー事態、理解されない状況、まずはラオス人にアートやギャラリーの存在について知ってもらうことを大切にしていきたいそうです。取り扱いは、平面絵画。お話した、ここのオーナーの1人の奥さん(といってもすごく若い)がMギャラリーのスタッフです。

5 Art Galleryの向かいのレストランで食べたラオス料理。ラオス料理は、タイのイサーン料理ににていますが、タイのイサーン料理ほど辛くありません。素材の味がしっかりして、とてもおいいしいです。
LAO TEXTILE




Lao Textile では、ラオスに古くからある西洋風建物の一階で染色織物の販売をしています。裏手にある工房で制作課程を見ることができます。
織り技法は、ラオス伝統の技法のようですが染料は、全て化学染料を使用しているとのことでした。オーナーはラオス人ではなく西洋人のようでした。
5 Arts Gallery



National Faculty of Fine Artsの2002年の改定後、初の卒業生有志5人(今から2年前に卒業)でお金を出し合って作ったギャラリー、設立は、約1年前でラオスで最初のラオス人によるギャラリーだそうです。(名刺が見つかり次第、名前を追加記載させていただきます。)本来は、コンテンポラリー・アートを扱いたいそうですが、なんせラオスではギャラリー事態、理解されない状況、まずはラオス人にアートやギャラリーの存在について知ってもらうことを大切にしていきたいそうです。取り扱いは、平面絵画。お話した、ここのオーナーの1人の奥さん(といってもすごく若い)がMギャラリーのスタッフです。

5 Art Galleryの向かいのレストランで食べたラオス料理。ラオス料理は、タイのイサーン料理ににていますが、タイのイサーン料理ほど辛くありません。素材の味がしっかりして、とてもおいいしいです。
LAO TEXTILE




Lao Textile では、ラオスに古くからある西洋風建物の一階で染色織物の販売をしています。裏手にある工房で制作課程を見ることができます。織り技法は、ラオス伝統の技法のようですが染料は、全て化学染料を使用しているとのことでした。オーナーはラオス人ではなく西洋人のようでした。
ラオス(ビィエンチャン)のアートと街と食-3
(*sorry this diary only japanese)ビェンチャンの街角2
Centre de Langue française (http://www.centredelangue.org/)
フランスの機関です。
おそらく、タイでいうアリアンセフランセ、日本でいう日仏学院でしょう。
残念ながら、私はフランス語もラオス語も読めません。

語学クラス、他、写真のワークショップなども開催されるようです。
広い階段の踊り場で写真の展覧会が開催されていたので昼食がてら覘かせていただきました。


図書館も

中庭のテラスにあるレストランも素敵です。

ラオスは、うまいの巻。
(*sorry this diary only japanese)ビィエンチャンの街角3
「食」は、ラオスで楽しみなことのひとつ。
タイ料理もそれは、それでおいしいのですが、ラオスには、タイには無い楽しさがあるのです。
それは、西洋との融合。フュージョンですね、フュージョン。
私は、このフュージョンとやらものがどうやら大好きなようなのです。

代表格が、このフランスパンのサンドイッチバケットです。
外は、フランス、中はラオス。
まず、オリジナルを注文すると、店のおにいさんがフランスパンをふたつに切って炭火の網の上に放り投げます。両面をじっくり焼き上げたら内側にラオス産の豚のパテをたっぷり塗り、焼き豚やら香草のつまったハムを詰め込みます。ハムと言っても、西洋のハムとは異なる、タイでいうムーヨーです。ムーヨーは、ハムより小さめで色は白く、歯ごたえがあります。そこに、トマトケチャップ、ナンプラー、パクチーを放り入れて出来上がりです。マヨネーズも入れたかな?
ベトナムのそれよりやってくれたな感があるのは、私だけでしょうか。
コーヒーの底に沈んだ練乳を少しづつ溶かしながら、この融合アリだろうか不安をかかえつつ一口、ウマイ!とコーヒーをひとくち、ふたくち、さらにがぶりとバケットに挑む、、朝の最高な一時です。


街の建物もフュージョン。
以前、3年ほど前に訪ねた時は、道はすべて土だったのに、ビィエンチャンの中心部は、ほぼ舗装されていました。全てアスファルトではなく、部分的にレンガや石畳が敷かれているのが救いでした。


豚のパテもそうですが、様々な料理の揃うバンコクでも未だに出会ったっことがないのが、リキュールを加えたケーキです。チョコレートとオレンジの皮とオレンジリキュールが最高のマッチングでした。
それと、確実にうまいのが、タイでは滅多に出会えない外側パリパリのソーセージ。
中は、アジアの香草がこれでもかと詰まっていました。ナムチム(たれ)は、店によって違うようでそれぞれおいしかったです。

伝統はどなるんだ!という人も一度お試しください。
ホンさん、ごちそうさま。
(いつも、こんな贅沢はしていません。)
2009/08/09
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